お次は日本のコーヒーの歴史についても少々。
世界史編はこちら。
日本のコーヒーの歴史は17〜18世紀頃 江戸時代
【日本開国】
文明開花の時代とともにコーヒーも少しづつ広がっていった。
唯一貿易が許されていた長崎の出島へオランダ商人によって持ち込まれたのが始まりとされている。
初めてコーヒーを口にしたのが大田蜀山人(狂歌師で戯作者)
1804年にオランダ船上でコーヒーを飲んでその感想を書き記したことが現存する文献。
その文献が日本人初のコーヒー飲用記録とされている。
貿易をする外交官たちをもてなすために出島に出入りできた遊女たちもコーヒーを飲んでいた。
遊女たちは客に代金を踏み倒されたり物を盗られたりしないように朝まで寝ずに過ごしたため、コーヒーは有用であった。
1858年 日米修好通商条約が結ばれ、本格的にコーヒー豆の輸入開始。
1888年(明治21年) 日本最初の喫茶店「可否茶館(かひちゃかん)」が東京上野に開店。
外務省を辞めた鄭永慶(ていえいけい)が始めた。
鹿鳴館が上流階級の社交場であるのに対し、可否茶館は庶民の社交場を目指したが高価な飲み物で経営が振るわなかった為、4年で閉店。
日本のコーヒーの父
ブラジルの移民計画の時にいち早く会社を建て、第一人者と知られているのが水野龍(みずのりょう)。
1908年(明治41年)第一回移民781名を笠戸丸で渡伯。
1920年(大正9年)までに日本移民は約3千人弱に上った。
この実績が認められてブラジル政府から12年間毎年1000袋のコーヒー豆が無料で水野氏に贈られた。
(ブラジルとしてはコーヒーをたくさん生産したあとは消費を啓蒙していきたいとの思惑があった)
1910年(明治43年)水野氏は大隈重信の支援も受けつつ銀座に「カフェーパウリスタ」をオープン。一杯100円ほどで安く提供したために庶民や学生などに人気があった。
カフェーパウリスタは北海道〜九州まで展開する日本初の全国チェーン店となった。さらに上海にもオープン。
日本のコーヒー史における一つの原点。

インスタントコーヒーの歴史
1899年 シカゴに在住していた日本人科学者の加藤サトリ氏は緑茶を粉末化する実験の途中にコーヒーへの応用をひらめく。
”スプレードライ製法”を用いてコーヒー抽出液の粉末化に成功。
1901年 ニューヨーク州で開催された、パンアメリカン博覧会にて”ソリュブルコーヒー”として発表。
しかしながら特許は取得したが大量生産することができず、風味も香りに欠けるとのことで製品化にはいたらなかった。
<現代のインスタントコーヒー製造方法>
①スプレードライ製法
コーヒーの抽出液に高温の熱風を吹き付けて水分を飛ばし、コーヒー成分を結晶化する方法。
お湯や牛乳などの液体に溶けやすい。
設備は必要だが、比較的安価に作ることができるので大量生産に向いている。

②フリーズドライ製法
コーヒーの抽出液を超低温で冷却し、真空状態にして水分を昇華させる方法。
熱の影響を受けないので、コーヒーの風味や香りが失われにくい。
また、長期保存にも向いている。

缶コーヒーの歴史
1965年 島根県 喫茶「ヨシタケ・コーヒー」の店主 三浦義武氏によって発明された。
世界初の缶コーヒー「ミラ・コーヒー」(三浦とミラクルをかけているらしい)・・・砂糖入り、ミルク無し
とても好評だったが製造の資金不足で1968年に製造中止に。
1969年 UCC上島珈琲が世界初ミルク入り缶コーヒーを発売。当時の技術では分離しないミルクコーヒーを作ることがとても難しかった。

1970年 大阪万博で販売されたことで爆発的なヒットとなった。
1973年 ホット販売専用の自動販売機が実用化され、缶コーヒーの普及がさらに加速した。


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