◯コーヒーの伝来
1920年代初期 パプアニューギニアに初めてコーヒーが持ち込まれる。
起源はジャマイカのブルーマウンテンコーヒーのティピカ種と言われている。
当時は植民地時代でオーストラリアが統治していた。オーストラリア自体がイギリスの植民地だったということもあって、主にヨーロッパ系の農園主によって高地にコーヒーが植えられた。
オーストラリアはイギリス帝国内で入手できる高品質なコーヒー苗木を探し、ジャマイカ(同じイギリス領だった)からティピカ種を入手した。
ジャマイカは世界で最も評価の高いコーヒー産地のひとつだった為、「どうせ植えるなら最高の品種を」ということで選ばれたと言われている。
苗木はジャワ経由で持ち込まれたという記録が残っている。
当時ジャワはオランダ植民地で、世界のコーヒー研究の拠点でもあり、ジャマイカからジャワに送られた種子がパプアニューギニアに再輸入された形である。

パプアニューギニアは地理的に孤立していたため、他国の品種との交雑が少なく現在もブルーマウンテンの遺伝子に近いティピカ種が残っていると言われている。
◯パプアニューギニアの植民地史

①パプア(南部)
・イギリス領パプアとして1884年に保護領化
・1906年にオーストラリアが統治を引き継ぎオーストラリア領パプアになる
(オーストラリアは1901年にイギリスから事実上独立)
②ニューギニア(北部)
・1884年にドイツ領ニューギニアとして植民地化
・1914年(第一次世界大戦)にオーストラリア軍が占領
・1920年 国際連盟の委任統治によりオーストラリアが統治することになる。
→国際連盟委任統治領ニューギニア
③独立
・1949年 パプアとニューギニアを統合して「パプア・ニューギニア」となる
・1975年に独立し、現在のパプアニューギニアが誕生
◯小規模農家への広がり(1950〜60年代)
第二次世界大戦後、政府が小規模農家にコーヒー栽培を推奨し、約40万世帯の小規模農家が生産の中心となり、現在も生産の85〜90%が小規模農家によるものである。
家族単位で収穫・精製を行っている。
独立後、コーヒーは国家経済の柱となり、最大の農産輸出品となった。
主な輸出先は、オーストラリア、日本、アメリカ、ドイツが中心である。
自然林に近い環境での栽培が多く、鳥類保護区のような生物多様性の中で育つコーヒーとしても近年注目されている。
◯取扱農園データ

【シグリ農園】
以下ユーエスフーズ株式会社様資料より
シグリ農園はウエストハイランド州ワギバレーに1950年代末に開発された大農園です。

火山灰性の黒土を含んだ肥沃な土壌、「一日で一年の気候を繰り返す」と言われる気象の変化などコーヒーの生育には理想的な環境です。
同農園はウェットミル(水洗処理工程をおこなう工場)とドライミル(ドライパーチメント以後の処理をおこなう工場)を所有しているので、処理のブレを最小限に抑えることができます。
また所有工場なので様々なことを管理しやすい状況下にあります。通常は全体収穫量の約15%がグレードAAになります。
・収穫〜輸出まで
1.収穫
通常年間通じておこなわれるがメインは4~7月で、全て手摘みで完熟果実のみを収穫しています。
2.水洗工程(ウォッシュド工程)
ウェットミルにて果肉除去後、発酵槽へ。
発酵槽では5日間かけて発酵処理をおこないます。
水は毎朝入れ替え、清潔を保っています。
工場に入る際は、靴裏からのドロや不純物除去のため、薬品消毒をおこなっているなど、品質管理に気を使っている一面もあります。
3.乾燥工程
基本的には100%天日乾燥。

天候が良ければ7日間程度、悪天候時は12日間程度かかけて乾燥させます。
アフリカンベッドを使用していますが、夕方に雨が降りやすいためビニールを使用しているので攪拌を頻繁におこなっています。

4.調整保管
ドライパーチメントをサイロにて21日間保管。
水分は10%前後~11.5%になるように調節しています。
夜間のみファンによる空気循環をおこなっています(ファンによる均一化で青めがきれいに出るらしい)。
5.ドライミル(最終加工施設)にて
・木片、石、枝などの不純物の除去
・パーチメントの選別
・ポリッシャーにて脱殻(パーチメントから生豆を出す)
・選別 -風力選別、スクリーン選別、比重選別、電子選別、手選別(1~3回)

・袋詰め をおこないます。 電子選別 手選別 袋詰め

その後、パプアニューギニアの港から約3週間の船旅をして日本に到着します。
【標高】1500m
【年間降雨量】2200mm以上
【品種】ティピカ、アルーシャ、カティモール他


コメントを残す