①起源
コーヒーの原産地はエチオピア高原とされるが、タンザニアにも古くから自生種(ロブスタ系)があった。
タンザニアでコーヒーの栽培が始まったのは今から約300年前と言われている。
≪チャガ族とコーヒー≫
チャガ族…キリマンジャロ山麓に住む民族。小規模農園文化を発展させた。
バナナとコーヒーの混植、家族単位の小農、山の水を利用した灌漑
②植民地時代:ドイツとイギリスの統治下
19世紀後半(1880年代)、タンザニア本土(当時のタンガニーカ)はドイツ領東アフリカとなり、ドイツ人はキリマンジャロ周辺にアラビカ種のプランテーションを導入。商業生産を開始。
プランテーションを導入したが、キリマンジャロ山麓は傾斜が多く大規模農園には向かなかった。
そのため平坦な土地を一気に開墾するより既存の小農を管理した方が効率的だった。
チャガ族の農業技術が高かったためそこにコーヒーを植えるだけで高品質な豆が収穫できた。
なので大規模農園もあるが、小農の割合が非常に高い。
第一次世界大戦後(1918年)、ドイツが敗戦しイギリスの委任統治領となり、小規模農家へのコーヒー栽培の普及や農協制度の導入などが進み、コーヒーが主要輸出作物の1つになった。
1920〜30年代 キリマンジャロ・ネイティブ協同組合が誕生。
これはアフリカでもかなり早期の農民組織でタンザニアコーヒー史の超重要存在。
小農が力を持つ基盤となった。
③独立と国営化:1960〜1980年代
1961年 タンガニーカが独立(のちにザンジバルと合併してタンザニア連合共和国に)
独立後は社会主義的な経済路線をとり、コーヒーの流通・輸出は国家管理へ。
タンザニア・コーヒーボードが設立され、農家は協同組合を通じて販売。
この時代は統制が強く、品質よりも量が優先され、生産性の停滞も見られた。
④自由化と再生:1990年代以降
1990年代の経済自由化により、民間業社や輸出企業が再び参入。
ダイレクトトレード・マイクロロットが増え始め品質重視の取り組みが始まり、スペシャルティコーヒー市場への進出が始まる。
国全体での生産の約70~75%は小規模農家によるもの。
タンザニアのコーヒー豆は世界的に有名なブランドではないが、日本でキリマンジャロが有名になった理由はヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」が大ヒットしたから。
キリマンジャロ山はケニアにもまたがっているが日本で言う”キリマンジャロ”はタンザニア産のことを指すのが主流。
国内の生産内訳は70%がアラビカ種、30%がロブスタ種
アラビカ種においては、伝統的なティピカ種やブルボン種意外にも同じくイギリス植民地であったインドで開発されたケント種、ジャマイカからもたらされたブルー・マウンテン・ティピカ種のほか、タンザニアのコーヒー研究機関であるTACRIが開発したブルボン系種のN39種、そしてティピカ種またはフレンチ・ミッションがルーツとなるアルーシャ種が耕作されている。
⑤現在のタンザニアコーヒー
・小規模農家主体
・スペシャルティ拡大
・精製多様化・・・アナエロビック、ナチュラル、ハニーなどが増えている
ケニアほど大規模商業農園化しきらなかったため今でも小農文化や在来混植、地域差などが原因でタンザニア特有の柔らかさにつながっているのではないか。
昔ながらの野生味とスペシャルティの透明感を合わせ持つ。



◯取扱農園データ
【バーグフリーデン農園】
農園主:TANJA Corporation
地域:アルーシャ州ンゴロンゴロエリア
標高:1,580-1840m
品種:ケント種他
精製方法:フリーウォッシュト

ドイツ語で「平和の山」を意味する。
最も標高が高いために昼夜の寒暖差が高く非常に良質なコーヒー豆が収穫される。
野生の像が頻繁に出現する自然と共生した農園。
20世紀初期にドイツ人が開拓・入植したが、第一次世界大戦後イギリス人の手に渡り、その後、前オーナーに引き継がれた。

【シャー農園】
農園主:TANJA Corporation
地域:アルーシャ州ンゴロンゴロエリア
標高:1,400-1,700m
品種:ケント種他
精製方法:フリーウォッシュト

前オーナーの名前がついた農園。大規模なウェットミルとアフリカンベッドを備えている。
日本人スタッフもここに常駐しており、農園のオフィスがあることでコミュニティの中心となっている。



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